華金の仲間を考えよう
こんにちは。堀口です。
突然だが、皆さんは「華金」という言葉を知っているだろうか。
週休二日制の導入により、土曜の仕事の事を考える必要が無くなったバブル時代からある言葉で、「金曜日は遊べる華の日」という意味から成っている。
最近は死語と言われているが、自分の周りでは使っているのをちらほら耳にする。若者の間にも多少なりとも定着しているらしい。
実際に金曜日の居酒屋やその他お酒の飲めるようなお店では仕事終わりのサラリーマンでごった返し、一週間の間にあった不満などを語り合い思い思いの形で疲れを発散させている。終電では皆ぐったりしたように眠りについている。
前置きが長くなりました。今回言いたいのはこういう事だ。
「華金」しか見たことなくない?他の曜日ってないの?
はい。
他の曜日には何にも名前付いてないんですよね。自分の知ってる限りでは。つまり一人ぼっちという訳だ。
そうなった時、自分は華金の気持ちになってみた。
さみしい。
という事で今回はこうです。
はい。
プリクラのデコ文字みたいにしたのは特に意味はない。
要は「華金一つだけだとさみしいから、仲間を作ってしまおう」という試みだ。何かおかしいことを言っているだろうか。言っていないはずだ。
今回は自分のイメージで月曜から日曜までを考えてみた。これで華金のやつも浮かばれることだろう。
まずは月曜日から。月曜日はこうなった。
一週間の始まりである故に多くの人から嫌われる曜日だ。朝の駅のホームは死んだ目をした人たちでごったがえしている。鬱屈し淀んだ空気の蔓延した月曜日はこのようなネーミングが妥当だろう。多分擬人化したら痩せ気味の青年。
どんどん行こう。火曜日はこうなった。
なんということだ。前半から変わりダネが出てきてしまった。
気だるい月曜日を越えると諦めがつくからだろうか、「耐え抜くしかない」という気持ちになってくる。むしろこの一週間を張り切って走り抜けるしかないと思う。進んで行こうという決心と半ばヤケクソな気持ちでこうなった。実写化したあかつきには松岡修造をキャスティングしたい。
先行きが怪しくなってきた。次は水曜日だ。
あれ?湧き水?
否、水曜日は平日の五日間のど真ん中にあるのだ。つまり一週間の「山」たる存在なのである。頂上まで登りつめたらあとは下りの道のみ。これから一歩一歩後半の日々を進んで行く人たちにとって水曜日は山のような存在なのではないか。と、思いこうネーミングをした。
ここで気づいたのだが、うまいことを言おうとすると既に「ある」言葉になってしまう。水曜日に関しては自分の脳をフルで絞りきっても良いものが見つからなかった。「華金」しか存在していないのは、なるべくしてなっているのかもしれない。
次は木曜日だ。
なんだか見たことのある文字の組み合わせだなぁと思ったら「樹木希林」の真ん中にいた。
木曜日には何があるか、それは「希望」である。
月、火、水と辛い三日間をくぐり抜けた先にある木曜日は、「明日が金曜日である」ただそれだけで価値がある。希望の華金がもうすぐそこに見えるから。
ただこういう時に限ってアルバイトが入ったりするので気持ちが持たなかったりすることもある。変則的なのもまた事実だ。
そろそろ追い込みに入ってきた。平日が終わりここからは休日だ。
なんということだろう。何でこのネーミングにしたか忘れてしまった。失念である。
金曜日に遊び尽くした人たちをゆっくり休ませてくれる日なので母のような日だと考えたのだと思われる。多分。
構想と執筆の間が空くとこういう弊害がある。気をつけよう。
最後な日曜日である。どうなるのかな?
言わずもがな日曜日は神。以上。
どうだっただろうか。六人もの仲間に囲まれ華金のやつもさぞ嬉しいことだろう。また自分のイメージで考えたため皆さんの考えとも大きく異なるものが多いだろうと思うが、人それぞれの仲間たちがいて良いと思う。
ちなみに皆はどう考えているのか?と思い、意見の割れそうな火、水、木曜日についてアンケートを取ってみた。
それに基づいて曜日に名前を付けるとこうなった。
希望ゼロかよ。
今回はここまでです。さようなら。